“水の都”でわき水の美観と隠れキリシタンの哀史に触れる/長崎県島原市・前編

“水の都”でわき水の美観と隠れキリシタンの哀史に触れる/長崎県島原市・前編

  • 文・写真 中元千恵子
  • 2017年5月30日

水と緑、日本建築が一体となった「四明荘」の風景

 “風景も人の心も、みずみずしく潤いのある街”。それが旅をして感じた長崎県島原市の印象だ。滞在中に出会った人の多くが、清々しくて大らか。街を流れる澄んだわき水にイメージが重なった。

島原市があるのは県の南東部、有明海や天草灘に囲まれ、中央に雲仙岳がそびえる島原半島だ。“胃袋のような形”と例えられる半島の東部に位置している。

島原は“水の都”として名高く、市内の約60カ所から地下水がわく。1日の総湧出量はおよそ20万トン。「島原湧水(ゆうすい)群」は1985年に環境庁(現環境省)の名水百選にも選定されている。

澄んだわき水が流れる「鯉の泳ぐまち」へ

長崎空港からバスで1時間45分ほど走り、市街の大手(おおて)バス停で下車した。この日の宿に荷物を預けると、「よろしければ自転車をどうぞ」と貸してくれる。見どころは比較的近距離に集まっているので歩いても回れるが、自転車があればさらに便利だ。

南へ走るとすぐに、「鯉の泳ぐまち」とよばれる新町へ出た。通りの脇にわき水が流れる水路がめぐり、覗きこむと紅白や黄金の錦鯉が泳いでいる。あまりに水が透明なので、鯉が空中に浮かんでいるように見える。

鯉が浮かんで見えるところも

 町の一角には、湧水(ゆうすい)庭園「四明荘(しめいそう)」があった。1日約3000トンのわき水が流れる三つの池を活用した住宅庭園で、“水の都”島原を象徴する名所の一つだ。建物は明治後期に医師の別邸として建築され、庭園は昭和初期に禅僧を招いて造られたという。

まるで池の中に造られたような独特の景観。座敷に入ると、カエデやアカマツが茂る庭と、鏡のように澄んだ池が目の前に迫り、景色と一体になったような不思議な気持ちになる。庭にせり出した縁側の上では、まるで池の上に浮いているかのようだ。

池の上に造られているかのようだ

 島原はもともとわき水が多い土地だったが、1792年、“島原大変”とよばれる雲仙岳噴火と島原市街の西にそびえる眉山の大崩壊によって、さらに増えたという。

四明荘に勤める慶田久美子さんは「島原市街の地下は、火山灰などの水を通しにくい層と砂れきなどの水を通しやすい層が交互に重なって、地下水を多く含む構造になっています。島原大変時の地殻変動で水の通り道がふさがれたり、地割れが生じたりしてわき水が増えたといわれます」と解説する。

さらに「火山は災害を引き起こしますが、わき水や温泉という恵みも与えてくれます。島原の人たちは、昔から自然をあるがままに受け入れて生きてきたのだと思います」と語った。

島原名物“かんざらし”とは?

四明荘の近くには、築90年の民家を公開した無料休憩所「しまばら湧水館」があり、島原名物の一つである“かんざらし”の手作り体験ができる(予約制)。

“かんざらし”は、白玉粉で作った小さな団子を島原のわき水で冷やし、蜂蜜や砂糖などで作った特製のシロップをかけたもの。やさしい甘さとつるんとしたのど越しよさが愛されている。市内では約20軒でかんざらしが味わえるが、味は店によって異なり、粉やシロップの配合は秘伝だという。

美しい日本家屋の風景は目からも癒される

かんざらしの手作り体験では一粒、ハート型が混じる

島原城から藩政時代の面影残す武家屋敷へ

新町から北へ向かうと、やがて、市のシンボルである島原城が現れた。南国の青空に映える白亜五層の華麗な天守閣は、1964年に復元されている。

島原城がある地は、森岳といい、古くはキリシタン大名として名高い有馬晴信が本陣を構えて戦ったところだった。

江戸時代になり、大和五条(奈良県)から松倉重政が入封すると、1618年から4年ないし7年をかけて城を建築。城下町も整備した。有馬氏時代からの海外貿易の利益もあって、島原城は大小50の櫓(やぐら)を配した堂々たる造りだったという。以来、松倉氏をはじめ、高力氏、松平氏、戸田氏、再び松平氏と、4氏19代が253年間にわたって居城とした。

復元された島原城天守閣

 島原城といえば、1637年に起きた島原の乱の舞台となったことでも知られる。圧政や重税に苦しんだ島原の領民が一揆を起こし、島原城を攻撃。けれど失敗して、参加した農民たちは現在の南島原市にある原城に立てこもった。のちに天草勢も加わった島原の乱は、日本史上でも最大規模の一揆となった。

ぜひ見学したいのが、天守閣内に設けられたキリシタン史料館だ。キリシタン関係では国内有数の充実した内容といわれている。南蛮貿易時代にヨーロッパで描かれた日本の地図や、多くのマリア観音像、“踏み絵”ならぬ島原藩独特の「箱踏(はこふみ)」など、貴重な展示品が並ぶ。キリスト教の宣教時代から禁教時代、弾圧時代への変遷、また島原の乱などについても分かりやすく解説してあり、見応えがあった。

マリア観音像や踏み絵、踏箱、閉じるとクルスが現れるハサミなど、信仰の歴史を伝える貴重な品が並ぶ

 島原城では、昨年夏には“キャッスルモンスター”が話題となった。天守閣最上階の展望所から、夜間、有明海上空に島原城の巨大なシルエットが浮かんでいるのが発見された。天守閣を四方からライトアップすることによる影絵の現象とみられている。

幻想的なキャッスルモンスター(画像提供:島原観光ビューロー)

 島原城の西には、築城と同時に藩士のために造られた武家屋敷跡が残っている。主に70石以下の下級武士の居住地で、かつては七つの町筋が碁盤の目のように整備され、700戸近くの家屋が並んでいたという。

今も下ノ丁(したのちょう)では武家屋敷が保存され、江戸時代さながらの風景だ。約400メートル続く通りの中央には水路が走り、両側に古い石垣が続く。水路の水は飲料水として使われたため、水奉行を置くなどして厳重に管理されていたそうだ。

水路を挟んで石垣が続く武家屋敷跡

考案者は天草四郎と伝わる“具雑煮”

島原城の近くには具雑煮(ぐぞうに)で有名な姫松屋がある。

島原の郷土料理である具雑煮は、鶏肉やアナゴ、ゴボウ、椎茸、高野豆腐など、十数種の山海の幸と丸餅を炊き込んだ雑煮だ。起源は島原の乱まで遡り、一揆軍の総大将であった天草四郎が、信徒たちと原城に籠城した際、餅と山海の食材を雑煮にして食べて戦ったと伝わる。

現在のような具雑煮は、1813年に、姫松屋初代の糀屋(こうじや)善衛エ門が、島原の乱の際に食べたと伝わる雑煮をもとに生み出したといわれている。

7代目にあたる姫田誠さんは「レシピは口伝えで受け継がれてきました」と話す。最上級のカツオ節を使い、醤油も具雑煮専用の品を特注しているそうだ。

出汁が際立つ姫松屋の具雑煮。竹輪やカマボコなど長崎らしい具も含め、10種以上の食材が入っている

 多くの食材を用いているのに、すっきりとして品のいい汁の味が印象的だ。ゴボウやレンコン、鶏肉、アナゴなど、具材もそれぞれの味が損なわれずに楽しめる。なめらかな舌触りの餅とともに、さらりと食べられる。

名物でお腹を満たし、翌日は地元で愛される名店2軒を訪ねた。

(後編へ続く)

交通・問い合わせ

島原鉄道島原駅下車

・島原観光ビューロー 0957・62・3986
http://shimabaraonsen.com/n/

・湧水庭園「四明荘」 0957・63・1121
http://www.city.shimabara.lg.jp/page943.html

・しまばら湧水館 080・2790・2879
http://shimabaraonsen.com/yuusuikan/

・島原城 0957・62・4766
http://shimabarajou.com/

・姫松屋 0957・63・7272
http://www.himematsuya.jp/

 

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